『代替医療のトリック』II – 医療の限界

『代替医療のトリック』。先日のブログでも記載したとおり、第II章から第IV章は、《科学的根拠にもとづく医療》をもとに鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブを検証した結果、効果が小さいという結論を得たということが記載されています。こうした記載は慎重、公平、論理的に論が展開されており、反論はむつかしいと思われます。反論できるのは、通常医療に詳しい知識を持つ方が、綿密に内容を精査した場合だけでしょう。その場合でも、結論が逆転してしまうことは考えにくいです。

だとしたら、「代替医療」は完全にこの世から駆逐すべきなのか。本書を読んだあと、個人的に鍼やカイロプラクティックを使うことは考えにくくなりました。だけど、現在もっとも成功の可能性が高く危険性の小さい治療方法は通常医療である、という本書の結論は受け入れがたい面があります。自分の身近な人または自分自身が、通常医療で治る可能性が低いといわれた場合はどうすればよいのでしょうか。あるいは、風邪や腰痛などといった身近で困る病気には、通常医療でもあまり効果がないことが本書で示唆されています。

場合によってはプラセボ効果などにより代替医療の方がよい成績が得られる可能性もある、ということを第II章から第IV章までの検証で解釈することもできるでしょう。プラセボとは、患者が治療効果を信じている場合に、偽または効果のない治療によっても得られる効果のこと。例えば、患者が通常医療に不満を持ち代替医療は信頼している場合には、プラセボにより代替医療の方がよい成績を得られる。こうした仮説は、本書の検証内容と矛盾していないと私には思えるのです。

本書の第IV章「真実は重要か」は、こうした疑問に応える内容になっています。いわば、「代替医療」に対してとどめを刺しているといえるでしょう。ただし、この章は第II章から第IV章までとは違い、著者の「意見」が記述されています。

我々がプラセボにもとづく代替医療は用いるべきではないと考える主な理由のひとつは、医師と患者の関係が、嘘のない誠実なものであってほしいと思うからだ。この数十年ほどのあいだに、医師と患者が情報を共有し、十分にインフォームド・コンセントにもとづいて関係を作り上げていく方向にはっきりと合意が進んだ。それにともない、医師たちは、成功する可能性が最も高い治療法を用いるために、《科学的根拠にもとづく医療》の立場をとることになった。プラセボ効果だけしかない治療に多少とも頼ることは、目指すべき目標のすべてをくつがえすことだ。(315ページ)

医者と患者の関係が嘘のない誠実なものであってほしい、という点に基本的には同意します。しかし、このことがどんな場合でも絶対に正しいのか、といわれると疑問があります。例えば、がんはどんな場合でも必ず告知するのが正しいのでしょうか。

本書では、代替医療はトリックに過ぎないという主張がされています。しかし、それと同時に通常医療にも限界があることが示されているように思うのです。病気になったときは、限界があることを認識しながらも、通常医療を受ける、医者と医療と科学を信頼する、というのが現在考えうる最上の方法でしょうか。希望は、通常医療は科学的根拠にもとづき日々進歩しているという点に残されているということはいえるかもしれません。

『代替医療のトリック』I – 科学と医療の再入門

本書は、2つの読み方ができます。

1つは、「医療」に対する基本的な心構えを説いた本として。もう1つは、「科学」の考え方や手法のケーススタディとして。

なかでも《科学的根拠に基づく医療》がどのように誕生・発展してきたのかを述べた第1章は、多くの人に読まれるべきだと考えます。例えば、高校の教科書や副読本に採用したりとか。

ジェームス=リンドらの尽力で発展した臨床試験や、ナイチンゲールにより推進された統計に基礎づけられた衛生改革、喫煙の危険性を明らかにしたヒルとドールの研究は、優れた科学的業績であり、医療史のなかで重要なできごとであると理解しました。

臨床試験、衛生の重要性、喫煙の危険性はいずれも現在では常識です。だけど、こうした概念を得るまでには、優れたひらめきと粘り強い思考、多くの人を巻き込んだ精密な実験が必要だったんですね。さらに、こうした概念が多くの人に受け入れられて常識になるまでには多くの苦労があったという点も印象深いです。

第II章から第IV章は、《科学的根拠に基づく医療》を武器に鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブを論じています。これらの章でも重要なのは、いずれの代替医療も効果が小さいという結論だけではなく、科学的に検証した結果として効果が小さいという結論を得た、ということでしょう。

個人的な感想でいえば、近所でよく看板を見かける鍼やカイロプラクティスの話は身近で興味深いけど、ホメオパシーやハーブ療法についてはあまり興味を持てませんでした。ここら辺は、日本と欧米の文化の違いもあるんでしょうね。

日常生活ー『皇軍兵士の日常生活』

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皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書)

歴史史料をもとに、日本軍の日常生活を明らかにしている本。

軍隊というと、とにかく非日常的な空間と考えてしまう。しかし、集団生活における人間関係や食事などをみれば、そこにあるのはやはり「日常」なのである。私たちがふつうに体験する学校や職場の集団生活と同じように、理不尽に叱られたり、学歴や勤め先がものをいったり、食事の分配などといったしょうもないことが当事者にとっては重要であったりする空間なのである。もちろん、程度の差はいろいろだろうけど。

ただしふつうの違うのは、人を殺したり、自分が死んだりすることが目の前にあること。そうした状況でも人間や組織は、平等や正義や規律に目覚めるわけではないのだ。

本書と例えば水木しげるの戦記物と一緒に読めば、日本軍での日常生活のイメージを具体的につかめるかもしれない。

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総員玉砕せよ! (講談社文庫)


水木しげるのラバウル戦記 (ちくま文庫)
幽霊艦長 (ちくま文庫)

そこで得られる結論は、やはり戦争をしてはいけないということである。

人と人のドラマー風雲児たち(2)

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風雲児たち (4) (SPコミックス)

『風雲児たち』の3巻おわりから4巻はじめは、壮絶な「宝暦治水伝」、時代がワープして1753(宝暦3)年から1755(宝暦5)年が舞台になっている。そしてそのあとは、前野良沢杉田玄白平賀源内田沼意次林子平高山彦九郎工藤平助中川淳庵・・・といった個性の強い人物が次から次へ登場し、ドラマを織り上げていく。

人は出合い そしてまたわかれる

その離散集合のくり返しが 人と人の歴史をつづってゆく

人は生きる 己れにしかない個性をひっさげて

(『風雲児たち』(リイド社)4巻、P.291-P.292)

保科正之ー風雲児たち(1)

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風雲児たち (3) (SPコミックス)

最近、『風雲児たち』に読みふけっている。知る人ぞ知る、江戸時代を舞台にした大河ドラマ漫画。笑いあり、涙あり、お色気あり、そして何より知識欲を存分に満たすことができる。

この漫画に登場するあまたの風雲児たちの中で、序盤、特にさわやかな印象を残すのが保科正之

作者は、江戸時代について次のように語る。

それまでの日本人にはけっしてなかったヒクツなヒクツな人間が作りあげられていく・・・最悪といいたくなるほどの時代であった

しかしそれでもなお・・・

その底からつきぬけてくる五月の風のようなさわやかな一面を否定することはできない

それは中世ヨーロッパの暗黒とは比べようもない明るい世界である

(『風雲児たち』(リイド社)3巻、P.161-P.162)

『風雲児たち』で保科正之の生涯を読みふけったあとは、こうした言葉が実感を持って感じられるのである。

一十郎とお蘭さま

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一十郎とお蘭さま (文春文庫)

主人公は武士道を貫く男と美しき女、舞台は激動の幕末から明治。となれば、血湧き肉躍る物語になりそうなのに、不条理劇のような不思議な味わいの小説である。

報われることのない熱い慕情を長年持ち続けること。悔しさや虚しさを感じることも多いだろうし、世間から見れば愚かしく映るだろう。人の気持ちなんて本来簡単に変わるはずだし、なにかのきっかけでもっと報われる生き方をすることはできたはずである。それでもなお、こうした慕情を持ち続けることができたのは幸せなことなのかもしれない。

コーヒーもう一杯 IV

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コーヒーもう一杯 IV (ビームコミックス)

続きがどうしても読みたいとか、手に汗を握る、とかそういう漫画ではないけど、出ればついつい買ってしまう漫画。切なくて、ちょっと不思議で、洒落ていて、暖かい。そういう独特の雰囲気に浸れる。もっとも私の場合、コーヒーより紅茶の方が好きなので、紅茶をともに読むことになるのだが。

戦後日本経済史

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戦後日本経済史 (新潮選書)

『超整理法』などのベストセラーで知られる野口悠紀雄の、戦後経済史概説書。

キーワードは、この人の長年の主張である「1940年体制」。あるいは、「日本は戦後、じつは社会主義体制だった」とでもいうべき内容である。戦後の復興も、高度経済成長も、石油ショックを乗り切ったのも、バブルとその崩壊も、1940年頃に準備・構築された戦時経済体制ゆえに起きたことだというのだ。日本は敗戦とその後のGHQ統治・民主化によってまったく違う国になった、という「常識」とはまったく違う視座である。

この本は、ちょうど明治・大正期に日本の資本主義を確立した渋沢栄一のことを考えたあとに読んでいた。そのため、次のような新しい史観が浮かんできた。

明治・大正期に成長した日本の資本主義は、世界恐慌などがあった1930年代(昭和のはじめ。ちなみに、渋沢が91歳で亡くなったのは1931年)に行き詰まり、その結果として1940年代にかけて新しい経済体制(戦時経済体制)が確立された。この経済体制は基本的に現在まで続いている・・・

こうした戦時経済体制についてどのように考えたらよいか?問題なのは、この体制の下では独創性が育たないということである。IT革命によって分散型情報システムが実現した時代にあっては、このことは大いに不利になる。なるほど・・・そうした国で、個人はどう生きるべきなのだろう、と考えさせられる。

もっともこの本では「個人の自由意思など、蟷螂の斧と考えざるを得ない」とも書いている。魅力的な議論に満ちたこの著作の中で、この部分にだけは強く抗〈あらが〉いたい、と思う。